「こんな育児で、いいのかな…」と思った夜
今日も怒鳴ってしまった。
昼ごはんはレトルト。
YouTubeに頼りっぱなしで、
夕方には私も子どもも限界。
「…これって、ちゃんと育児できてるって言えるのかな?」
子どもが寝たあと、
部屋の隅っこでカップラーメンをすすりながら、
そんなことを考えてました。
SNSには手作りごはんと笑顔の親子。
本屋には「育児の正解」がずらり。
私のやってることって、間違ってる?
育児って「これが正解です」って言われないよね

学校ならテストがあって、
会社なら上司が評価してくれて、
間違えたら教えてくれる。
でも育児って、
- どこにも正解が載ってない
- 結果が出るのは10年後とか
- 子どもごとに“仕様”が違いすぎる
それでも、世の中には「正しく育てましょう」ってプレッシャーが多すぎる。
「正解がないのに、正解を求められる世界」
それが育児のしんどさの正体かもしれない。
あのとき“間違い”だと思ってたことが、今は笑える
うちの子が1歳のとき、
毎日イヤイヤ泣いてばかりだった時期がありました。
私は育児書を読みあさり、
「○○すると落ち着く」「△△はNG行動」
と書いてあった通りにやってみたけど…
結果 → 全部通用しなかった。
でも、それが悪かったわけじゃない。
むしろ今思えば、
「それでよかったんだな」と思える。
正解じゃなかったけど、“精一杯”だったあの日
そのときの私は、泣きながらも抱っこしてた。
怒ってしまったけど、そのあと謝ってた。
レトルトだったけど、おなかは満たしてた。
それって、充分じゃない?
“正解”より、“一緒にやってる”が大事なのかも
育児って、子どもと親の共同作業。
大人がマニュアル通りに動いても、
子どもは自由すぎるし、理屈が通じない。
- 機嫌は謎に崩れる
- 昨日できたことが今日はできない
- 朝と夜で人格変わる(ある意味ホラー)
そんな子と向き合ってるんだから、
正解より“対話”とか“試行錯誤”のほうが大事なんだと思う。
うまくいかなくても、「一緒に生きてる」ってことだけで、十分。
育児の“正解”って、10年後に子どもが教えてくれるかもしれない

今はわからなくても、
子どもが成長して、ふとこう言ってくれる日が来たら。
「あのとき、怒ってたけど、ちゃんと見てくれてたよね」
「ママがよく笑ってくれたの、覚えてる」
そんな一言が、
10年分の「これでよかったのかな?」を
「うん、大丈夫だったよ」に変えてくれる気がする。
今、毎日迷ってるあなたへ
「これでいいのかな」って思ってるあなた。
その迷いこそが、すでに“ちゃんと向き合ってる証拠”です。
- 答えが出ないからこそ、考える
- 間違えたくないからこそ、悩む
- 大切だからこそ、グラグラする
あなたが今日も子どもと向き合ったこと、それが一番の“正解”です。
まとめ
- 育児に明確な正解はない。だからこそ悩むのは当然
- 育児書やSNSの通りにいかなくても、それは失敗じゃない
- 子どもと共に、試行錯誤してることこそ“育ててる”ということ
- 10年後、あなたの愛が正解だったと証明される日がきっと来る
今日も正解かわからない道を、よくぞ歩きました。
ちゃんと、生きてて、子どもと向き合ってて、それだけで100点です。